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 たとえば、やりたいことを生業にする、ということ。
 「なぜ、それをするのですか」と押井監督やスタッフの声を拾うと、「やりたかったから」と帰ってくる。

 「やりたかったから」。ずいぶん久々に聞く言葉であった。

 押井監督の言葉は、様々な温度を持つ。聞く耳に合わせて言葉を選ぶ。けれど、何を聞いても“迎合”という概念からはほど遠い。ある海際の撮影で「ぼくは追憶という言葉が嫌いでね」と仰っているのを聞いた。

 「実写化も、追憶になってはならない」。

 そう、“実写化”という言葉は先行しているイメージに囚われ、“みんなの期待”という正体不明の敵に晒されながらものづくりが進む。
 媚びることの空しさ、期待に添わねばならないという寂しさ、そんなことを気にして、何をやりたかったのか忘れてしまう悲しさ。まるで現場の神棚のように鎮座するイングラムを撮影で見て、同録現場にてスタッフ全員で息を呑む度に、押井監督に遅れをとる自分を感じる。「実写化、なんて、やってみなけりゃ解らない。そんなことも、解らないのかね、みんな」

 追憶を続けても、未来はないのだ。
 それが型通りで無くとも、走る。